狛犬とは
神社の参道のなどで良く見る狛犬の起源は、仏教発祥の地「インド」と言われています。古代インドで仏像を守護するためにライオン(獅子)像を置いていた慣わしが、仏教の伝来と同じように、中国から朝鮮を経て日本に伝わったようです。他にも諸説ありますが、現在よく見る狛犬は、日本で新たに変化した形のようです。
狛犬は左右の形が異なり、向かって右側が“阿”と口を大きく開けた獅子。左が“吽”と口を閉じて頭に角を生やした狛犬です。どちらもライオンをモチーフにした架空動物で、この「獅子・狛犬」のペアで「狛犬」と呼ばれています。また狛犬が阿吽型になったのは、お寺の山門に立つ仁王像にならったもので、この点が日本独自の形と言われています。狛犬は基本的には厄除けや神様の守護ということで、神社の参道や拝殿前の両側に建てられています。
「石茂型」石狛犬
茂右衛門は私ども芳村の「襲名」の名前です。(茂右衛門の詳細については、こちらをご覧ください)“茂右衛門”の狛犬は明治も12年頃から明治39年の間の約30年間に名前を多く残しています。この頃のは、3代目と4代目茂右衛門の作品と思われます。茂右衛門の狛犬作品は小寺慶昭先生の名著「京都狛犬巡り」(192頁)に、詳しくご紹介いただいていますが、特に北野天満宮に多く置かれています。場所は三の鳥居の前、楼門の階段両脇、絵馬所前の参道入口、そして東門鳥居前の4箇所です。その他、近くでは敷地神社(わら天神)、上御霊神社、下御霊神社の狛犬にも「石工 茂右衛門」の名が刻まれています。
小寺慶昭先生のご本における評価では、特に北野天満宮の絵馬所前の参道入口に置かれた、茂右衛門の狛犬に注目され以下のように記述されています。「従来の狛犬より比較的短い足だが、実に力強い。たてがみの表現が複雑になり、顔の表情も豊かになっている。(中略)茂右衛門の狛犬の躍動感は実に洗練されていて、清爽な感じを与える。この狛犬のモデルについては分かっていない。ただ、浪花狛犬や白川狛犬の一部を改良した姿でなく、新しいイメージを導入しているに違いない。そして、この狛犬の形式が岡崎狛犬が浸透してくるまでの間に、特に大正から昭和にかけて主流となるのだ(浸透後もかなり設置されている)。滋賀県下にはこの系統の狛犬が多く残っている。現時点で、私は「石茂狛犬」と名づけているが、仮称であり、今後の他地域での調査を待たなければならない。」
狛犬 施工年表(抜粋)
1985年 | 松尾神社社殿・狛犬(京都) | |
1982年 | 金刀比羅宮 狛犬(香川) | |
1924年 | 清水寺 境内石工事・狛犬他(京都) | |
1907年 | 下御霊神社 狛犬(京都) | |
1906年 | 北野天満宮 狛犬(京都) | 体長109cm |
1906年 | 荒見神社 狛犬(京都) | 体長70cm |
1900年 | 奥山田天神社 狛犬(京都) | 体長72cm |
1899年 | 敷地神社(わら天神)狛犬(京都) | 体長58cm |
1895年 | 上御霊神社 狛犬(京都) | 体長67cm |
1888年 | 北野天満宮 狛犬(京都) | 体長71cm |
1883年 | 宗像神社 社標石・狛犬(京都) | |
1882年 | 北野天満宮 狛犬(京都) | 体長86cm |
1879年 | 北野天満宮 狛犬(京都) | 体長84cm |