霊園概要
- 所在地:京都市右京区花園艮北町5
- 宗旨宗派:本門法華宗
本門法華宗以外の方でもご相談承ります。 - 聖地規模:1区画(1,360mm×1,360mm)~
詳しくはお問い合わせください。
※永代供養についてのご相談も受け付けております。
まずはご相談ください。
- 周辺環境:JR「花園」駅から東に徒歩7分。妙心寺の南門から西大路通りへとつなぐ、妙心寺道の半ばに位置します。この妙心寺道は、古くは西に妙心寺や太秦・嵐山・周山・高雄に通じる街道の玄関口として賑わってきた通りで、 北野天満宮御旅所(おたびしょ)を中心に東西に伸びる天神御旅商店会があります。近くには花園高校や、京都学園高校もあるので多くの学生さんが通られます。
- 交通手段:
◆バス:京都バス「西の京馬代町」停留所より徒歩約3分
◆電車:JR山陰本線(嵯峨野線)「花園」駅より徒歩約7分
◆車:西大路・妙心寺道を西に5分。(駐車場あり。多数台駐車有)
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0120-039-148 (通話料無料フリーダイヤル)
成願寺について
成願寺の歴史は、およそ1100年前に遡ります。
北野天満宮が創建されたころ、菅原道真公側近の侍達が、道真公の霊を祀るため、京に七寺院を建立しました。 成願寺は、その7番目にあたる神宮寺として建立され、七保天満宮(ななほてんまんぐう)をお祀りしていました。 当時は菅公自作の十一面観世音菩薩を祀っていました。しかし時代を経て寺は一時は荒廃します。
元禄2年(1689年)に、三井両替店の番頭であった、吉崎傳右衛門が仏門に入り、大本山妙蓮寺にて教仏坊日行と改名されました。 翌年の元禄3年(1690年)、日行上人は、三井家の祖松樹翁の外護を得て、成願寺を再建しました。 以後、成願寺は三井家の祈願所ともなっています。
十六世日望上人は昭和62年には、宗祖七百遠忌並びに当山開創三百年等を迎え、各種の境内整備及び、昔日の大本堂を新築しました。
成願寺の見どころ
春日木辻の多寶塔・寂光殿
平安末期の貴族・藤原忠親(ふじわらただちか(中山)1131-1195)の日記「山槐記」によると、京の百基の塔に詣でたことが記されています。当時の仏教的作善の一つに塔の巡礼があり、“京の百塔詣で”と呼ばれていました。 冶承3年(1179)には、藤原経宗(ふじわらつねむね 1119-1189)らはたった三日間でこの百塔詣でを行ったという話も残っています。また、藤原忠親自身の巡礼では、ここ春日木辻(かすがきつじ)の塔を初日に詣ったと記されています。
平安時代には京の周辺には天皇や貴族が競って塔を建てました。 その春日木辻の塔が、ここ成願寺(天暦元年創立)にありました。しかし、木辻の塔は、応仁の乱の際に焼失してしまいました。平成14年、成願寺では、立教開宗750年記念事業として、幻の春日木辻の塔を多寶塔(寂光殿)として再建しました。
鬼子母神尊像
鬼子母神は大薬叉女神の名で、歓喜母、愛子母等と呼ばれ、佛の強化を受け、インドでは子児の神として広く信仰され、日本でも平安鎌倉期以来、子供の守護神として祀られています。
平成24年に本堂前に建立されました。
幼子は母を知らず。 母は幼子を忘れず。
幼子は母を知らねども母恋し。
母と幼子は同体なり。幼子喜べば母うれし。
幼子苦を受ければ、母悲し。
佛は母のごとし。我等は幼子のごとし。南無妙法蓮華経。
日本空手道の研修道場
成願寺では、境内にある、“日本空手道・徒利無松尾(とりむまつお)”道場にて、週二回、ご住職が空手の指導を行ってられます。
会員を募集されてますので、経験者の方も、初心者の方も、お気軽にお問合せください。
近隣の観光場所
北野天満宮御旅所(おたびしょ)
神楽岡と呼ばれる森林があったこの土地は、大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのかみ)の二神を、鎮守の神として祀られてきました。
天暦元年(947)北野に天満宮が創建され、神輿がこの場所に渡御されるようになってから、北野天満宮御旅所と定められ、 地名も御輿岡(みこしおか)町となりました。 菅神を合祀して北野天満宮の境内外末社となっています。
また、御旅所の社殿・拝殿は成願寺より移されたものです。毎年、十月一日より三日までは、御旅所には三基の鳳輦とずいき神輿が駐輦する‘ずいき祭り’が行われ、多くの人々で賑わいます。