家訓「お客様大事」−3つの企業理念

1.ミッション(会社の使命)

お客様の声に常に応え、技術と知識の研鑽に努め
本当に良い品を安心の技術と価格でお届けします。

2.ビジョン(会社の目指すこと)

お客様に感謝し、仕事を通じ社員皆が物心両面で
満たされ、共に幸せになれることを目指します。

3.バリュー(社会的な価値)

社会に必要な仕事かを常に問い、奢らず、怠らず、
お客様の暮らしと日本の文化の発展に貢献します。


 

ご挨拶

 

「石」に「茂」と書いて、イシモと読みます。石茂とは、襲名される「芳村茂衛門」の「茂」を石に組み合わせた創作文字です。私どもはこの文字を享保年間の創業以来屋号として守り続けており、いわば私どものシンボルマークです。石茂の歴史は、遡るところ江戸時代末期から始まっています。しかし、それは記録や口伝えとして残されたものであり、京都の石工の歴史は、遥か平安京の時代からあると思われます。

木造建築を基本とした日本は、『木と紙の文化』と言われています。しかし、その木造建築物を雨風や地震などの災害から護るために、石の基礎や基壇が造られています。また、石垣・石橋・玉垣・参道などの環境整備だけでなく、鳥居・石碑・石仏などの祈りの対象物として、石は多用されてきました。更には、石灯篭や手水鉢など、露地や庭園の観賞物としても、石は古より日本人の文化や暮らしの中に溶け込み、使われてきました。平安京から永い『都の歴史』を有する京都では、無数の社寺建築とその境内地が残され、町家の佇まいや露地も見られます。そこには多くの石が今も使われ続け、京都の『 木と紙の文化 』を護り、支え続けていると言えます。

私たちは『京都の石屋』として、これからも石の文化を守り続け、『お客様大事』の家訓を元に、本当に良い品を安心の技術と価格でお届けしたいと考えております。

代表取締役 山田俊行 / 七代目・茂右衛門(もえもん)

茂右衛門と「石茂」について

 

「茂右衛門」(もえもん)は、弊社創業以来290余年間、芳村家代々当主が襲名してきた名前です。そして、弊社のロゴマーク「石茂」(いしも)は『石工の茂右衛門』を意味しています。

初代茂右衛門は、吉村の姓として、京都・白川村に生まれました。白川村は、銀閣寺前の白川通り近辺の、琵琶湖に抜ける山道“志賀越通”の麓辺りです。比叡山と如意ヶ岳(大文字山)に挟まれ、白川という川沿いに広がるこの地域は、良質の花崗岩「白川石」の産地で、古くから京都の石屋発祥の地としても知られています(現在は産出不可)。文政三年(1820年)寄進の東寺の宮燈篭一対には「白川石工 茂右衛門」の名が刻まれています。
先代は北白川村の出身ですが、堀川椹木町の場所に移り住んでいます。石を産地から運ぶため、船で運んだり牛車で曳くなど運搬手段の確保が欠かせません。おそらく先代は、水路があるという利便性で堀川が流れるこの地を選んだと思われます。1830年頃に移転、以後190年に渡って堀川椹木町の地で石工事に従事させて頂いております。


茂右衛門の足跡

茂右衛門の研究については、石造美術研究家で『京の石仏』や『石燈籠新入門』などの本を書かれた、京都石仏会会長の佐野精一先生の著書『京石工芳村茂右衛門・在銘一覧表』に記されています。
また、小寺慶昭先生が書かれた『京都狛犬巡り』では、京都の狛犬造りの名石工として、芳村茂右衛門をとりあげて、北野天満宮を初め八箇所の狛犬の記録と、感想を述べていただいています。
文中では、もう一組の京都の名石工であった松助の作品と対比して紹介されています。松助の造った狛犬が、初代と二代目の仕上がり方に力量の差がみられることに触れて、「茂右衛門についてはその作風や技量に差は見られない。松助が個人芸的な要素が強いのに対して、茂右衛門には組織のリーダーとしての役割が大きかったのだと思われる。つまり、彼自身の力量が名人級であるのは当然として、その石工集団としての質の高さも保たれていたのだ」と感想が述べられています。

宮燈籠や狛犬の作品に「石工 茂右衛門」の名が多く刻まれているのは、特に三代目茂右衛門(1851-1900)の頃と思います。当時の京都は、明治2年(1869年)の東京遷都により人口が激減し、都市衰退の危機にありました。そんな京都を復興する大事業として推進された琵琶湖疎水工事にも深く関わったと聞きます。
この頃の堀川の店の賑わいが、明治16年10月に発刊された『都の魁』という、京都の商工年鑑に掲載されています。平屋の前には灯篭や蹲、狛犬、造りかけの葛石などが並び、建物南側の家の中では石工たちが加工作業をしています。
その後も茂右衛門は4代、5代、6代と時を重ね「京都の石屋」としての歴史と、石仕事の実績を残しています。

 

石大工とは

木造建築を作る人を「大工」さんと言うように、かつては石を素材に建築の仕事に関わる人を「石大工」と呼んでいました。石大工の歴史は古く、飛鳥寺や法隆寺など古代の寺院建築にも礎石や基壇、石段、参道等の加工や据付など多くの部分で活躍の跡が見られます。 もともと石大工は灯篭や石塔、石仏など石造美術の製作にも関わっていました。特に仏教が全盛を迎えた鎌倉時代には、五輪塔、宝篋印塔、石燈篭など多くの石造物が造られました。重要文化財指定のある作品も多く残されています。室町から戦国時代には、石大工も築城の為の石垣積みが多くなり、石積みの技術が発達しますが、安土・桃山を迎え“茶ノ湯”の文化が広がり、露地の灯篭や蹲(つくばい)など観賞用の石造品が多く造られました。

石工について

会社概要

会社名
株式会社 芳村石材店
屋号
石茂(イシモ)
代表者
山田 俊行 / 七代目・茂右衛門(もえもん)
所在地・連絡先
【京都本社】
住所:京都府京都市上京区東堀川通椹木町上ル五町目208
電話:075-211-2711 / 0120-039-148(フリーダイヤル)
FAX:075-211-2755

【亀岡支店】
住所:亀岡市篠町野条上又18-1
電話 FAX:07712-3-6874
メール
ishimo@kyoto-ishiya.com
営業時間
月曜日〜土曜日
8:00〜17:00
創業
享保年間(創業296年)
従業員数
6名
事業内容
【建築石工事】
■社寺建築
石鳥居、玉垣、参道、石階段、石畳などの企画、設計、製造、施工及び、文化財修復石工事。
■一般建築
住宅、店舗等における室内外の石材工事、及び公園、庭園等の環境石材の製造、施工。

【石造美術(オーダーメイド)】
社寺、一般のお客様のご依頼による石造美術制作。
石仏、記念碑、石灯篭、狛犬、キャラクター彫刻などのデザイン設計・製造・施工。

【墓石・墓地・霊園】
墓石、五輪塔、多宝塔、デザイン墓、永代供養墓などのデザイン設計、製造、施工。
花立、水塔婆、蝋燭立てなどの墓石小物販売。
墓石クリーニング、墓じまい、文字彫り入れ、お墓参り代行などのメンテナンス。
・墓地、霊園のご紹介。及び、永代供養墓やセットプランなどのご提案

【石茂オリジナル石グッズ】
オリジナル石グッズの企画、デザイン、製造、販売。
(オンラインショップ「ISHIMO」にて販売。)
建設業者登録
京都府知事許可(般-1) 019549号
加盟団体
京都府石材業協同組合・京都中小企業家同友会・文友会・日本建築協議会
取引先
■宮内庁、京都府、京都市工事施工
■清水寺、鹿苑寺(金閣寺)、仁和寺、醍醐寺、天龍寺、妙心寺、聖護院、他各宗派大本山御用達
■貴船神社、晴明神社、護王神社、平安神宮、豊国神社、長岡天満宮、御霊神社、他各神社御用達

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