茂右衛門と「石茂」について

「茂右衛門」(もうえもん)は、弊社創業以来290余年間、芳村家代々当主が襲名してきた名前です。そして、弊社のロゴマーク「石茂」(いしも)は『石工の茂右衛門』を意味しています。

初代茂右衛門は、吉村の姓として、京都・白川村に生まれました。白川村は、銀閣寺前の白川通り近辺の、琵琶湖に抜ける山道“志賀越通”の麓辺りです。比叡山と如意ヶ岳(大文字山)に挟まれ、白川という川沿いに広がるこの地域は、良質の花崗岩「白川石」の産地で、古くから京都の石屋発祥の地としても知られています(現在は産出不可)。文政三年(1820年)寄進の東寺の宮燈篭一対には「白川石工 茂右衛門」の名が刻まれています。
先代は北白川村の出身ですが、堀川椹木町の場所に移り住んでいます。石を産地から運ぶため、船で運んだり牛車で曳くなど運搬手段の確保が欠かせません。おそらく先代は、水路があるという利便性で堀川が流れるこの地を選んだと思われます。1830年頃に移転、以後190年に渡って堀川椹木町の地で石工事に従事させて頂いております。

茂右衛門の足跡

茂右衛門の研究については、石造美術研究家で『京の石仏』や『石燈籠新入門』などの本を書かれた、京都石仏会会長の佐野精一先生の著書『京石工芳村茂右衛門・在銘一覧表』に記されています。

また、小寺慶昭先生が書かれた『京都狛犬巡り』では、京都の狛犬造りの名石工として、芳村茂右衛門をとりあげて、北野天満宮を初め八箇所の狛犬の記録と、感想を述べていただいています。
文中では、もう一組の京都の名石工であった松助の作品と対比して紹介されています。松助の造った狛犬が、初代と二代目の仕上がり方に力量の差がみられることに触れて、「茂右衛門についてはその作風や技量に差は見られない。松助が個人芸的な要素が強いのに対して、茂右衛門には組織のリーダーとしての役割が大きかったのだと思われる。つまり、彼自身の力量が名人級であるのは当然として、その石工集団としての質の高さも保たれていたのだ」と感想が述べられています。

宮燈籠や狛犬の作品に「石工 茂右衛門」の名が多く刻まれているのは、特に三代目茂右衛門(1851-1900)の頃と思います。当時の京都は、明治2年(1869年)の東京遷都により人口が激減し、都市衰退の危機にありました。そんな京都を復興する大事業として推進された琵琶湖疎水工事にも深く関わったと聞きます。

『都の魁』

この頃の堀川の店の賑わいが、明治16年10月に発刊された『都の魁』という、京都の商工年鑑に掲載されています。平屋の前には灯篭や蹲、狛犬、造りかけの葛石などが並び、建物南側の家の中では石工たちが加工作業をしています。
その後も茂右衛門は4代、5代、6代と時を重ね「京都の石屋」としての歴史と、石仕事の実績を残しています。