記念碑(社寺)

【知恩院】

【鹿苑寺(金閣寺)】

【晴明神社 日月柱】

南に「日」、北に「月」を配し、陰陽を表しています。石柱は、かつて四神門の門柱として使われていたもので、「明治37年9月晴明公九百年祭紀念」と刻まれています。

【護王神社・伊勢神宮遙拝所(京都府京都市)】

遙か東方の伊勢神宮に向かいお祈りをする為の空間造り。日の出を象徴する円窓をあしらった遙拝石を設置。アールデコ調のデザインに古色をおびた水磨き仕上げの白御影石で石碑の存在感を強調。小叩き仕上げの神明型鳥居を配し参拝施設としての一体性を持たせた。

【首途八幡宮(京都府・京都市)】

首途(かどで)は出発の意味。源義経が奥州に平泉に向かう時、道中の安全祈願した由緒を記した石碑と銘板を建立。能勢黒みかげ石を使用。玉石の状態で採掘される自然石の為、同じ形は無い。いくつもの石の中から組み合わせ、台石に大入れ加工を行い設置。

【大本教 四大綱領碑(京都府亀岡市)】

石碑本体の石種は、周囲に建つ既存の石碑に合わせ、宮城県産稲井石を使用。重厚感のある黒色の石で木目のような模様と側面のノコギリ加工が特徴。文字を彫り込むと白く浮き出る。四大綱領を刻む正面を額彫りにし中を磨き、黒色を際立たせ、文字を強調させている。高さ2260×幅1200×奥行300の石碑をどっしりと支える台石には、産肌仕上げに加工した丹波石を使用。背後の野面積みは、明智光秀で知られる亀山城跡の石垣である。

【平安神宮(京都府・京都市)】

平安神宮神苑に体積された汚泥により、貴重なイチモンジタナゴが絶滅の危機があったが、企業ボランテアにより池底浄化プロジェクトが完工された事を記念する石碑。祈念碑、台石共に岡山県産の北木石(白御影石)を使用。スクエアカットの石に広めの面取りを施し、全体を水磨きで仕上げる。平安神宮の景観を損ねないようにシンプルな形と色合いにこだわる。正面ステンレス銘板に記念の理由を記す。

【宗像神社】

記念碑(学校・団体)

【京都府立植物園】

【松賀茂児童公園】

【駅伝発祥の地祈念碑(京都府・京都市)】

駅伝発祥100年記念の石碑。1917年より100年前に、京都・三条大橋から東京・不忍池まで23区間、514キロで行われた事を記念した石碑。水磨きとビシャン仕上げの白御影石と、本磨きの黒御影石の加工の違いで、スッキリとしたフォルムながら、石ならではの存在感を与えた。川端三条の地下鉄出入り口前と、西京極陸上競技場スタートゲート前の2箇所に同じ形の石碑が設置されている。

【谷口健蔵顕彰碑(京都府・南丹市)】

明治国際医療大学の校内広場に建立。銘石で知られる愛媛県産大島石を使用。石の産肌を活かし加工。高さ3700×幅840×奥行690mm。このクラスの大きさの石で、表情の良いものが選ぶのは難しいが、よい品が選出された。石碑を設置する場所の地中に深く、強固なホゾ型の鉄筋コンクリート基礎を据え。25tラフタークレーンにて石碑を吊り安置する。

【京都市立中立小学校】

【滋野中学校】

社標・寺標

石柱に神社名を刻んだものを「社標」、寺院名を刻んだものを「寺標」と呼びます。古くから社寺建築の石工事を主とする弊社では、社標や寺標も手掛けており、屋号である「石茂」や代々襲名されてきた「芳村茂右衛門」の名が刻まれたものも残されています。

【平安神宮】

【豊国神社】

【宗像神社】

【護王神社・社標石(京都府・京都市)】

京都御所の西、烏丸通りに面した護王神社の東門に設置。標石部分の高さ3600×幅700×奥行520mm。台石を入れた総高さでは、4260mmの大きな社標石だが、その上、上部に和気清麻呂公の似顔絵を配したユニークな形なので、通りを走る車からも良く確認できる。石は白御影石の水磨き仕上げ。イラスト部分は黒御影石の本磨きにサンドブラスト加工。大型ラフタークレーンで吊り上げ設置。写真の右には、護王神社独特の駒イノシシも写っている。

【晴明神社 千利休居士聚楽屋敷趾 石碑】

晴明神社の境内内に千利休の屋敷があったとされ、石碑が奉納されました。正面には、千宗守家元筆の「千利休居士聚楽屋敷 趾」の文字が、側面にはその謂れが刻まれています。